この記事で伝えていることとまとめ
- 世界的な形成外科学会誌「PRS Global Open」で、当院の血管合併症治療の症例論文がベストケースレポート賞の「シルバー(銀賞)」を受賞したことのご報告。
- ヒアルロン酸注入の重大なリスクである「血管塞栓(けっかんそくせん)」と、それを速やかに解消するための「高用量パルスヒアルロニダーゼ(HDPH)プロトコル」の医学的背景と補足。
- 当時は論文化など全く意識しておらず、ただ目の前の患者様を治したくて必死だったこと。そして、辛い治療経過を世界のためにオープンにしてくれた患者様の勇気ある行動への感謝。
- 「元から優秀なエリート」と思われがちな新井院長の、実はやんちゃだった清須での田舎少年時代と、今振り返っても冷や汗が出る「あわや死にかけた3つの出来事」。
- 【インスタライブでお答えしたご質問】13歳の愛犬をガンで亡くし、どうしたらいいか分からないという患者様へ。これまで歴代6頭の犬を飼い、さまざまな辛い別れを経験してきた新井院長が、自身の等身大な想いと言葉でそっと寄り添います。
皆様、おはようございます。ラベールミラクリニック院長の新井根洋です。
今日のミニライブでは、当院に届いた最近のニュースを少しお伝えしながら、事前にいただいたご質問にもお答えしていきたいと思います。
少し専門的なお話から、私のちょっと恥ずかしい子供の頃の脱線話まで、いつも通り等身大でお話ししていきますね。
現場で必死だった治療が、世界的な論文賞「PRSシルバー」に選ばれました
先日発表された嬉しいニュースなのですが、海外の形成外科学会誌である『PRS Global Open』に提出した論文が、1年間の優秀な症例論文に贈られる「ベストケースレポート賞」のシルバー(銀賞)をいただきました。 世界で2番目の賞ということで、とても光栄に思っています。
この論文は、当院に勤めていて、現在は日進市でも開業されている多賀谷先生(まなか先生)がメインの著者として論文化したものです。 世界的に高名なインドのカプール(KM Kapoor)先生とも協力して書き上げました。
実は、私が実際にこの合併症の治療に携わっていた当時は、論文化することなんて全く、1ミリも頭にありませんでした。 ただ、目の前で起きている血管合併症の治療に必死で、なんとか元通りに治ってほしいという一心だけで治療に当たっていたのです。
それがこうして後から形になり、世界中の他のドクターに「参考になる」「勉強になる」と評価していただけたことは、一人の医師、また医学者としても、やはり純粋に嬉しいなとしみじみ感じています。
※額へのヒアルロン酸注入における血管合併症と「高用量パルスヒアルロニダーゼ(HDPH)プロトコル」
ここで、少し専門的な解説を補足させていただきます。
ヒアルロン酸注入は非常に身近で人気のある治療ですが、ごく稀に、注入されたヒアルロン酸製剤が誤って血管(特に動脈)の中に入り込んでしまったり、周囲から血管を強く圧迫したりすることで、血流が途絶えてしまう「血管塞栓(けっかんそくせん)」という重大な合併症のリスクがあります。
特に「額(おでこ)」の領域は、滑車上動脈や眼窩上動脈といった、眼球や頭皮へと繋がる細い血管が複雑に走行しているため、非常に解剖学的な知識と慎重な技術が求められます。もし血流不全が起きると、放置すれば皮膚の壊死や、最悪の場合は視力障害といった深刻な事態になりかねません。
このような緊急事態に対し、今回の症例論文で実施された治療アプローチが「高用量パルスヒアルロニダーゼ(HDPH)プロトコル」です。
ヒアルロニダーゼとは、ヒアルロン酸を速やかに分解して溶かす酵素のことです。 従来の治療法では少量のヒアルロニダーゼを慎重に投与していましたが、HDPHプロトコルでは、血流不全が疑われる領域とその周辺 of 広い範囲(あるいは血管の走行に沿って)、解剖学的に影響が及ぶ全域に、十分な高用量のヒアルロニダーゼを速やかに、かつ時間をおいて複数回(パルス状に)注入します。これにより、血管の壁を透過して血管内に入り込んだヒアルロン酸をも効率よく溶解し、速やかに血流を再開させることができるとされています。
このプロトコルの有効性を、実際の良好な治療経過とともに世界へ示したのが、今回の共同論文です。
臨床医の役割と、辛い体験をオープンにしてくれた患者様への感謝
医師の世界にはいろいろな役割があり、大きく分けると、現場で一生懸命治療する「臨床医」と、大学などで主に研究を行う「研究医(アカデミア)」の2つの領域があります。
私はどちらかというと、研究よりは完全に「がっつり臨床」のドクターです。 現場でしっかり治療することや、自分の技術を高めてそれを患者様にしっかり提供することに偏っている人間だなと思っています。
ですが、今回の受賞を通じて、研究(アカデミア)の持つ力や意味を改めて感じさせられました。 例えば、私が臨床現場で100人の患者様に素晴らしい治療を提供したとしても、それは目の前の100人の方々にとどまります。 でも、研究で1つの確かな発見があれば、世界中の何万人、何百万人の人を救うことができるかもしれないですよね。 もちろん、その研究のヒント自体は臨床現場にたくさん転がっているので、2つは密接に絡み合っていると思うのですが、それぞれの役割がちょっと異なるのだなと実感しました。
そして、この論文が形になり、世界中で同じように悩む誰かの助けになったのは、何よりも患者様のおかげだと思っています。
患者様ご自身、当時は本当に辛い体験をされたと思います。 そのような辛い体験をオープンにすることは、ものすごく勇気がいることだし、普通はあまりしたくないはずです。 それでも、「世界中で同じように悩む人が少しでも助かれば」「美容医療の技術が進歩していけばいいな」という想いで協力してくださいました。
また、不本意ながら合併症を起こしてしまった担当ドクターも、自分の医師人生を真面目に振り返って猛省し、ものすごく勉強してこの論文のために協力してくれました。
こうした患者様の勇気ある行動と、ドクターたちの真摯な姿勢が合わさったからこそ、この小さな医学の進歩が生まれました。 色々なことに感謝しつつ、少し感動しています。
「エリート秀才」ではない、やんちゃな清須の田舎少年だった過去
時々、患者様から「先生って、昔から優秀でエリートだったんでしょう?」と言われることがあります。 そう言われると、私はちょっとびっくりしてしまいます。
実際は全くそんなことはなくて、私は愛知県の清須という、田んぼが広がるのどかな田舎で生まれ育ちました。 名古屋駅から電車に5分ほど乗れば、もう車窓から田んぼが見えてくるような場所です。 実家の周りもススキ畑と畑と田んぼしかなくて、お米の収穫が終わると田んぼでひたすら走り回って遊んでいるような、そんな普通の田舎少年でした。 エリートでも優秀な秀才でもなく、本当に普通の人間が努力をして、なんとか今ここにいるという感じですね。
子供の頃はかなりやんちゃで、今思えば生意気な子供だったと思います。 今の自分が、当時の自分が遊んでいる風景を見たら、間違いなく注意するし、止めるし、「そんなことしちゃいかんぞ」と怒りたくなると思います。
人の家の塀に野球のボールを何度も投げつけて当てる練習をしてしまったり、今考えると申し訳ないことばかりしていました。 ありがたいことに、当時はそんなに怒られることもなかったですし、温かく遊ばせてくれました。いい時代だったなと思います。
振り返ると冷や汗が出る、あわや死にかけた「3つの瞬間」
そんなやんちゃだった子供時代から学生時代にかけて、実は「あのときちょっと間違えていたら死んでいたな」という、リアルに死にかけた瞬間が何回かありました。
1つ目は、子供の頃に高い鉄筋屋根の構造の上に乗って遊んでいたときのことです。 40〜50cmほどの間隔で鉄の棒が組んである日差し避けのような屋根だったのですが、その上で走り回って飛び回って遊んでいました。 今考えると、もし足を踏み外して、落ち方が悪ければ普通に死んでいたなと冷や汗が出ます。
2つ目は、海での出来事です。 私の父親がアクティブな人だったので、ドライブ中に日本海の近くを通ると「よし、泳ぐぞ」と、そのままパンツ1枚で海に泳ぎに行くようなことがよくありました。 私は小学生ながらスイミングスクールに通っていたこともあって泳ぎに自信があり、足のつかないような深さでも平気で泳いでいました。 あるとき、少し兄弟と離れて高い波に飲まれてしまいました。 波に飲まれると水中ですごい渦ができて、まるで洗濯機のようにぐちゃぐちゃにかき混ぜられてしまい、どっちが上か下かまったく分からなくなってしまいます。 息を止めていてもどんどん苦しくなるし、一定の深さまで行くと体が沈んで浮き上がりにくくなるので、ただ待っていても自然には浮いてこないんです。 海底も分からずパニックになりかけましたが、ほんの一瞬だけ、明るい方向がちらっと見えました。 そちらを信じて必死に泳いでいったら海面に出て、ようやく息ができたんです。 あのとき、もし泳ぐ方向を少しでも間違えていたら、そのまま溺れていただろうなと思います。あれが一番危ない瞬間でした。
3つ目は、高校生の頃にスキーに行ったときのことです。 調子に乗って難関の「チャンピオンコース」を、転びながらもガンガン滑っていました。 あるとき派手に転んで、雪に少し埋まってしまったのですが、すぐ上から友達がかなりのスピードで滑ってきたんです。 友達も「衝突する、止まれない!」と、転びながら必死に急停止しようとしたのですが、斜面が急でなかなか止まらなくて。 そのままの勢いで滑ってきて、スキー板のあの鋭くとがった先端が、転んでいる私の顔の目の前ギリギリでピタッと止まりました。 あの尖った部分が勢いよく迫ってきた瞬間は、未だに頭の中で鮮明な映像として覚えています。これも本当に冷や汗ものでした。
こうして振り返ると、自分が今こうして生きてお医者さんをやっているのは、本当にただ「運が良かった」からだなと思います。 大層なエリートではなく、ものすごく普通の人間が、運良く生かされて、ただ必死に頑張って頑張って今ここにいるという感じです。 だからこそ、毎日生かされていることに感謝しながら、医療に向き合わなければいけないなと思っています。
インスタライブでお答えしたご質問
Q. 犬を飼ったことはありますか?また、13歳の愛犬をガンで亡くしました。涙が止まらず、どうしたらいいか分かりません。
A. 犬は飼ったことがあります。うちは代々犬を飼っていまして、大切な家族を失ったお気持ちは本当によく分かります。13歳、ガンで亡くされたのですね。本当にどうしたらいいか分からない、お辛いお気持ちだと思います。犬や猫といった動物は、一緒に長く暮らしていると、パートナーを超えて本当に家族のようになりますからね。だから、お別れのときは本当に悲しいものです。
ですが、どうしても人間より長く生きる動物はなかなかいませんから、そこは避けることのできない現実なのかなと思います。悲しいことですが、これまで一緒にお出かけしたりした「楽しかった思い出」をしっかり持って、そのワンちゃんの分まで、飼い主さんがしっかり元気に長生きして、毎日を楽しんでいただければ、天国のワンちゃんも喜ぶんじゃないかなと思います。13歳というのは犬にとってはかなりの高齢ですから、ある意味で、もう天寿を全うしたというか、大往生して長生きしてくれたと言えるのかもしれません。
私の実家でも、子供の頃から含めると全部で6頭のワンちゃんを飼ってきました。今は母親のところに7頭目のワンちゃんが元気に暮らしているのですが、それぞれの歴代の子たちとも、本当にいろいろな別れがありました。
ある、すごくお利口でいい子だった大型犬のワンちゃんは、外で飼っていたのですが、散歩中に落ちていたアイスの棒か何かをうまく飲み込んでしまったらしく、急に血を吐いて、そのまま亡くなってしまったんです。解剖してみたら胃の中からアイスの棒が出てきて、中で刺さってしまっていたようで、あれは本当に辛い経験でした。
一方で、大型犬なのに16歳、17歳まで生きたワンちゃんもいました。犬として考えたら、もう人間でいう100歳以上の大往生ですよね。そういう風に天寿を全うして長生きしてくれた子もいれば、中には、私たちの実家が線路に近かったこともあって、不注意で電車に轢かれて亡くなってしまったワンちゃんもいたりしました。
このように、私は子供の頃から、家族同様だったワンちゃんたちの「命の終わり」や別れをたくさん当たりにしてきました。そのときは本当に悲しいですし、気持ちも落ち込みますが、時の経過とともに、彼らと暮らした日々が良い思い出になっていきました。今は私は犬を飼っていませんが、お気持ちは本当によく分かります。
でも、どうか少しずつ元気を出してくださいね。そのうちきっと、悲しみではなくて、良い思い出に変わると思います。ワンちゃんにとってみれば、飼い主さんがしっかり元気に、楽しんで長生きして暮らしてくれることが何よりの幸せですから。13年間一緒にいた時間は、ワンちゃんにとってもあなたにとっても、間違いなく良い思い出だと思います。ある意味で、もう天寿を全うして旅立ったんだな、と思ってあげられたらいいのかなと思います。














