たれ目院長ブログ 〜努力か才能か?努力できるのも才能??人の限界は何で決まるか〜

医者をしていると人からよく、昔から頭良かったんでしょ、頭のデキが違う、と言われることがあります。

そう言っていただけるのは素直に喜びたいところなんですが、真実は若干違います。いわゆる「天才」ではなく実際は努力型の人間です。天才だったらこんなに苦労はしないのになぁと思いながら努力し続けてきました。

時々、私は努力型の人間であることを言うと、「そこまで努力できるのも才能だから」と言われることもあり、努力できることも才能なのかと本気で考えてしまうこともありますが努力は単純に頑張ることであり、そこに特別な才能はないと思います。努力の方向性や内容に間違いが少なく、効率よくできるかは人や周りの環境も関係してくると思いますが。

ここからは自論ですが、人の努力に限界はないと考えています。あるとすれば自分はここまでしかできない、そこから先は無理、と決めつけてしまう意識の限界。自分で作ってしまった自分の壁はなかなか壊すことはできません。

私自身は頭の出来が良いわけでもなく特別な才能もあるわけでもないので、必要なタイミングでひたすら努力してきました。やるべきと覚悟を決めたのと必要な時とのタイミングが良かったのはあると思います。人間、誰にでもやる気スイッチはあると思いますが、それがONになるタイミングは大事です。

しかしそれ以上に私にとって幸運だったのは、自分で自分の壁を作ってしまう環境になかったこと。具体的に言えば人格形成に関わる大事な時期に、家族も学校の教師も、お前はバカだから頑張ってもダメだ、という風に言う人が誰もいなかったこと。私の親に限って言えば大層な親バカで、自分の子供は天才だと本気で信じているタイプ。

でもそのおかげでブタもおだてりゃ木に登る的に、単純で褒められると嬉しい男の子だった私は、なんでもやればできるんだとばかりに調子に乗って頑張ります。男の子なんてそんなもんでしょう。

つまり、お調子者でひたすら褒められて育った私は、おバカなことに自分で自分にダメ出しをすることを覚えることなく大きくなりました。実際には、中学や高校での成績は下から30%くらいをうろうろしていたので本当は褒められたものではないですが、よくぞこれで息子を褒めて、やればできると信じてくれたものです。我が親ながらすごいなあと思います(笑)

しかしこれが決定的に良かったと振り返って思います。200人中150番くらいの成績の子が医者になりたいと言っても誰も止めない。親は頑張れと言うし学校の先生もま、頑張れよと言うし、塾の先生は立場上なのか勉強すれば行けますよと言う(笑)。大嫌いな化学を高校時代に全く勉強せず、センター試験も運で取れた20点台だった子に、お前には無理だと誰も言わなかった環境がすごいと思います。

かくしてブレーキのない暴走列車は突き進みます。自分には無理かも、とか無謀かなと思う発想を持たない私はやりたいと思ったことにただひたすら努力して向かいます。同じように努力していた兄の頑張る姿を間近で見られたこともまた幸運でした。兄は私と違って学校の成績は良かったですが、ちゃんと勉強していた結果だということを見て知っていましたから。

努力は才能に勝ると考えていますが、その一方で本当の天才、天賦の才に恵まれた人達も見てきました。勉強で言えば記憶能力が人並み外れていたり本当にIQが高いと思われる人達、明らかに我々普通の人間とは何かが違うのが感じ取れました。なるほど、これを天才と言うのか、と。

スポーツでもそうですが、一流のトップアスリートにはおそらく努力でなれると思いますが、その中でできる差は、生まれ持った能力や恵まれた体格が影響する部分もあると思います。仮に私が死ぬ気でトレーニングして人生を短距離走に費やせば100mを10秒台では走れるかもしれません。しかしボルトに勝つのは努力だけでは足りない「何か」が必要になってくるでしょう。これはおそらく自分で作る壁ではなくて現実的な壁になるのだと思います。

以前にも書きましたが、私の恩師とも呼べる人達の一人で、小学校5年生の担任の先生がいます。当時確か30代中頃の女性で、中学校からの異動で小学生にはやや厳しめの先生でしたが、いろいろなことを語ってくれました。その中の一つに、「頑張れば夢は叶う。ただし頑張っても叶わないこともある。でも頑張りなさい。」とまるで禅問答のような言葉があり、子供ながらによく意味がわからず、夢が叶わないこともあるなんて変なこと言う先生だなぁと思ってましたが、大人になるにつれてその言葉の持つ色々な意味を身にしみて感じるようなりました。

その先生は私にブレーキをかけなかった人達の一人で、あろうことか問題児であった私を天才だとおだてたものですから、母親も私も舞い上がってしまって何かにつけて頑張ってしまうのでした。結果的には先生の思い通りに頑張ってしまった私は作戦にハマってしまったのでしょうが、人生には大変良い影響を与えてくれました。

その先生は40歳頃にまだ若くして肺癌で亡くなられました。大変惜しい人を亡くしました。今でも思い返すと悲しくなりますし、そのことは私に肺癌を治療する呼吸器外科を選ばせた要因でもありました。もし今生きていたらどんな話ができるかなと思います。

最後もまた私の持論ですが、教育において重要なのは子供の才能を伸ばすことではなく、努力の芽を大人が勝手に摘まないことではないかと思います。

人間、得手不得手や向き不向きはありますが、それぞれに才能はあり、努力には上限がありません。しかし大人になる過程で色々な場を見ていると、お前はダメなやつだ、そんな志望校は無理だ、せいぜいこの程度の人間だ、と周りの人に勝手に決めつけられ、それによって自分もそうだと思い込んでしまうシーンがよく見られる気がします。

そしてこの自分で作ってしまう自分の壁、限界意識というのは、一度作ってしまうとなかなか壊すのが難しいのです。現実的な壁はひたむきな努力によって打ち破ることができます。しかし自分で作ってしまった限界はそもそもそれを越えようとするほどの努力、エネルギーが出てきません。本当はできるのにもかかわらず。

大学生時代に家庭教師をしていると、学校や塾の先生からバカだダメだと言われ、さらには自分の親からも出来ない子だと言われてしまう子達が多くいることに気付きます。自我の確立した大人ならともかくまだ自分を知る途中である子供が、周りからも親からもそんなことを言われてしまったら自力でそれをはね返すのは大変困難なことでしょう。そういう子は自分のことをバカで出来ないと言い、そう信じ込まされています。

でも第三者である私が冷静にフラットに見ると、テストの点が低いだけであって全然バカでもないしダメでもありません。子供の能力にそれほどの差はなく、皆無限の可能性を持っています。それなのに10歳足らずで自分の能力の限界を低いところに決めつけ、決めつけさせられて、頑張ることも頑張る方法も教えられない環境にいる子供達を見ると悲しくなります。

とある子はまさにそんな環境にいて、10歳にして自分はバカで出来ないなどと口に出していう子でしたが、約2年にわたり時に怒り時に笑い、ふざけ合ったり涙しながら志望する中学に合格したときのあの自信に満ちた顔が忘れられません。何が嬉しいかって、難関の受験を突破したこともですが、自分はダメなんかじゃない、頑張ればできるんだということをわかってくれたこと。

自信という言葉は自分を信じると書きます。自信がある人=プライドの高い人、とよく使われがちですが、本当の自信とはまさに自分を信じてあげることだと思います。最後まで自分のことを信じてくれる人は自分しかいません。周りからダメ出しをされ、自分までもが自分のことを信じられなくなった時、人の限界が決まります。それを打ち崩すのは大変な努力と気合いが必要になります。でもそれを壊せるのも自分しかいないのです。他人はそのきっかけを与えられるに過ぎません。

 

 

 

 

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