忘れられない思い出と考えることの大事さ

先日娘に「ママはどの天気が好き?」と聞かれ、私は「晴れ」と答えたのですが、「そうなんだぁ。私はね、曇りが好き。暑すぎないし、寒すぎないし、体育の授業もなくならないから好きなんだ🎵ママはなんで晴れが好きなの?」とさらに質問をされました。
何気ない日常の会話なのですが、小学校2年生の娘の方がきちんと物事を考えているなと反省しました。
と言うのも、私は「晴れ」と答えた時はあまり深く理由を考えていなかったからです。しかし、娘は好きな天気1つに対しても自分なりの理由を最初から持っていました。

普段から意識して子供たちにいろいろな話や質問をするようにしています。
例えば、車に乗っている時に息子(年中)と「黄色の車と白の車を数えてみる」と言うゲームをします。そうすると、当たり前に白の車が多いです。そこでなぜ白の車が多いのかを子供たちの中で考えます。別に正解でなくてもいいのです。こちらが考えつかないような面白い考えが出てくる時もあります。そして「自分なら何色の車に乗りたい?なぜ?」と言うふうに話をしたりします。
このような会話をすると、子供たちの面白い発想が聞けて楽しいのと、考えるくせもつくかなと思って意識して始めたのですが、きちんと自分の考えをもつ子に育っているみたいです。

医師という仕事は、選択や判断を間違うと、患者さんが大変なことになってしまう、下手したら命にも関わる仕事です。
つまり、なんとなく選択、なんとなくやるということはあり得ません。
きちんと自分の考えを持ち、責任を持って選択や判断を行わなければいけません。
娘に好きな天気を聞かれた時は気が抜けていましたが、医師として仕事をしている時にはそんなふうに気が抜けた回答はできません。

実はもともとはあまり物事に対して考えていなかった自分がいます。(なので不意打ちに娘に聞かれた時は気が抜けていましたw)
常に考えるくせがきちんとついたのは医師になってからかもしれません。
国家試験に受かったその日から「先生」と急に呼ばれ始めました。3月まで学生だったのに、4月から急に「医師」。
上級医がいるとはいえ、自分でやったことは全て自分の責任の生活が始まりました。なんとなくではやっていけません。
とはいえ、2年間は研修医なので上級医の誰かが気にしてくれていました。
しかし、3年目で循環器内科の医局に入ったのですが、4月1日から循環器の当番になっており、その日から循環器の患者さんの責任を持つ日々が始まりました。研修医の時よりも責任がかなり大きくなりました。もちろん上級医を頼って相談の電話をしても構いません。しかし夜中です。これは夜中に電話して相談していいようなことなのか、その判断もしなければいけません。自分のできること、できないことをしっかり見極めて、できないときは上級医に連絡して助けてもらう。その判断が間違っていれば患者さんは助けられない。
このような毎日を送っていたので、常に考えるくせがつきました。

判断といえば、1つ思い出されることがあります。
3年目の時に、暇があれば病棟をウロウロしていた私ですが、たまたま病棟に私しかいない時に急変が2件同時に起こりました。
すぐに上級医に連絡したのですが、すぐに来れたのが1人だけだったため、私と上級医2人で急変2件を対応しなければいけない状況になりました。挿管が必要な患者さんの方で「こっち私対応します」と上級医にいうと、一瞬上級医の顔がピリッとなりましたが、「任せた、何かあればすぐに俺を呼べ」と言い、任せてくれました。挿管し終わった頃には他の上級医もきてくれ、結果、2件とも助かったのですが、あの時私の判断に任せてくれた上級医の顔を今でも鮮明に思い出せます。「お前なら、できないと思ったらちゃんと俺を呼ぶと思ったんだ」と後から言われ、私の判断を信じてくれたんだなと嬉しかった気持ちも覚えています。

美容医療は常に命に関わるかというと、そう多くはないかもしれません(もちろん命に関わる美容のオペもあります)
しかし医療であることには違いなく、一歩判断を間違うと大変な合併症になり得ることもあります。
美容医療であってもなんとなくはありえません。
改めてきちんと自分の考えを持ち、正しい判断をしっかりできるように意識していきたいと思います。

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